Machinakaの日記

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これは映画はなくミュージックビデオだ! ルゥルゥ・チェンちゃんには罪はない! 「若葉のころ」批評

 

こんばんは。Machinakaです。

 

今回批評する映画はこちら!

 

 

 

「若葉のころ」

 

 

 

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はい。台湾初、純愛ラブストーリーという触れ込みに、期待して鑑賞してまいりました。

 

 

 

 

 

1.あらすじ

 

1971年公開の「小さな恋のメロディ」挿入曲としてヒットしたビージーズの「若葉のころ」のメロディとともに、母と娘それぞれの初恋を描いた台湾発のラブストーリー。母が17歳だった1982年と娘が17歳の2013年を舞台に、それぞれの初恋の揺れる思いを瑞々しく描いた。離婚した母や祖母と一緒に台北で暮らす女子高生バイは、親友ウエンと男友達イエの関係に心を痛めていた。そんなある日、母ワンが交通事故で意識不明の重体に陥ってしまう。偶然にも母のパソコンから初恋相手リン宛の未送信メールを発見したバイは、母の青春に思いを馳せる。監督はジョイ・チョウ、メイデイなど人気アーティストのミュージックビデオを手掛け、本作が長編初監督作品となるジョウ・グーダイ。韓国ドラマ「美男<イケメン>ですね」の台湾リメイク版で注目を集めたルゥルゥ・チェンが、若き日の母ワンと主人公バイの2役を演じ、ワンの初恋相手リン役をジョニー・トー監督作品などで知られるリッチー・レンが演じる。

https://eiga.com/movie/84418/

 

 


台湾発の切ないラブストーリー!映画『若葉のころ』予告編

 

 

はい、予告編を見る限りは非常に面白そうですね! 

台湾は旅行に行ったことがあって、非常に好きな場所なんです。台湾人も大好きですね。日本人が旅行すると、どんだけ日本好きなんだよっ!って嬉しくなりますよ笑

 

 

 

 

台湾は大好きですよ!!

 

 

さぁ、前置きはこのぐらいにして、早速映画の感想です!

 

あ、今回も批評は「である」調で書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.映画の感想

 

 

 

 

一言感想

 

「これは映画ではない」

 

 

 

 

 

百歩譲って、映像は非常に美しい。

記憶に残るシーンは何個もあって、映画的な文法も多用していた。一番良かったのはライティング。逆光の描写や木漏れ日の光、カーテンから漏れる光など、いろんな光が美しい映画だった。

 

 

加えて、キャスティングも素晴らしかった。俳優の演技は非常に良かった。特に、主演のルゥルゥ・チェンが今回のMVPである。

ちなみに、漢字名は程予希

なんと、カタカナでも感じでも可愛いのだ。これには驚きを隠せない。

 

 

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恥を忍んで宣言しよう。

 

私はこの子に一目惚れをした。

この子と太陽の光が差し込むシーンでは、両方とも眩しすぎてどっちが太陽なのか、判断できないくらいだった。この子を出してくれただけで100億点、、、いや、100億台湾ドルを差し上げたいくらいだ。

不思議なことに、この子に見つめられると酷評が出来ない。

執筆に支障をきたすため、画像は最後に貼ることにした。

 

 

 

 

青春映画に欠かせない美しい女優、美しい撮影。

美しい映像を見れたことに、異議はない。

 

 

 

ただ、映画全体を通して観ると「汚い」と言わざるをえない。

 

この映画の一番の欠点は、「編集」である。そもそも映画が成立するための条件は、「異なる時系列の場面を繋いで、一本の映像にすること」であることは疑いの余地がない。

編集の仕事はまさに「場面と場面を繋ぐ」ことが一番の仕事である。しかし、この映画は全く繋がっていないのだ。

 

この映画は時系列が現代と1980年代の二つしかないが、登場人物が多いため非常に複数のシーンが交錯する作りとなっている。が、あまりにも現代と過去を頻繁に行き来しすぎて、中華包丁で切ったようなブツ切り感の編集が、最後まで私を苦しめた。

さらに、この映画は「音楽」を主題にしているため、劇中では様々な音楽が流れている。しかし、音楽がサビの途中にも関わらず次の場面へ急にカットインする。カットインと言うより、インターセプトと言ったほうがより適切だろう。

 

 

 

このインターセプト編集が致命的だった。現代で女子高生がキャッキャはしゃいでいると思いきや、突然場面は80年代のセピア調の場面に。そんなくだりが何回も何回も往復する。つまり、重複した場面があまりにも多く、1シーンのインパクトが薄れているのだ。

 

 

さらに、編集以外にも大きな欠点がある。それは、ストーリーの広がりが全くなく、貧相な脚本であること。そもそも、この映画の目的は「純愛映画を作ること」ではなく、「ミュージックビデオを作ること」に全力が注がれているからだ。

それもそのはず。公式ホームページを見れば分かる通り、本作のメガホンを撮った監督は映画監督ではなく、「ミュージックビデオ」の監督なのである。

 

 

f:id:Machinaka:20160531020058p:plain

https://wakabanokoro.com/introduction/

 

ストーリーより綺麗な映像にこだわる。編集が稚拙。これで点が線に繋がった。これは長尺のミュージックビデオなのだ、と。また、この監督はCMも多く手がける、その業界では有名な方なんだそう。

 

 

と、ここまで書き進めて、急に悪寒が私を襲った。国は違えど、同じCM出身の監督で駄作を見た覚えがあったからだ。

これだ。韓国の「ビューティ・インサイド」

 

www.machinaka-movie-review.com

 

 

 

・CM出身の監督

・主役の女優がやたらベッピン

・映画は駄作

共通点が多すぎる。やはり、映画監督以外の人が映画を作ると駄目なんだろうな。当たり前か。

 

 

 

 

 

 

 

本題に戻ろう。この映画は「ミュージックビデオを作るため」の映画であると述べた。

 

今回の「ミュージックビデオ」の歌は、イギリスのビー・ジーズの「若葉のころ」である。

 


Bee Gees - First of May (Melody 1971)

 

 

一番の歌詞を引用しよう。

 

僕がちっちゃかった頃
クリスマス・ツリーは大きかったよ
他のみんなが遊んでいた頃
僕たちは愛を確かめ合ってた
なぜって聞かないで
でも時は通りすぎてしまった
誰かが遠くからやってきて
きみの心に居座ってしまったんだ

https://mettapops.blog.fc2.com/blog-entry-857.html

 

この歌詞がそのまま映画のプロットになり、ストーリーと成っているのだ。この歌詞から逸脱することはない。何故ならこれは「ミュージックビデオ」だからだ。

 

 

 

勘の良い方はお判りだろうが、音楽と映画の尺は天と地の差ぐらい異なる。つまり、音楽のストーリーを映画の尺に合わせるために、無理矢理引き延ばしているのである。しかし、それは不可能である。

 

そのため、この映画には蛇足とも思える恋愛ストーリーが何本も何本も描かれている。本筋は1980年と現代へと時代が流れた恋愛は色褪せないのか?というテーマである。つまり、主人公の女の子と男性の恋愛模様だけで良い。

 

しかし、本筋とは関係のない人物の三角関係、浮気が何回も何回も何回も続き、結局本筋はなんだったのか、と当初の目的を忘れてしまう。

 

 

そして最後の最後になって、帳尻合わせをするかのように二人の恋愛が動き出す。今までの茶番劇は何だったのか!? こんなトンデモ構成に、観客は我慢できると思っているのか!? 

 

 

 

 

そうか!

 

そうだったのか!

 

 

 

 

 

 

ようやく主演に我がルゥルゥ・チェンちゃんが起用された理由が分かった。ストーリーの稚拙さをごまかすために、とびっきりの美人を画面に出しておいて「場を繋ごう」としていたのである。

 

これで納得がいく。何故なら、私は監督の術中に見事にハマったからである。ルゥルゥちゃんが出てくるシーンは、ストーリーとかどうでも良かった。

ただ彼女がいれば「良い映画だ」と錯覚してしまったからだ。

 

前述した「ビューティ・インサイド」もそうだ。ストーリーは脱糞モノだが、ハン・ヒョジュちゃんの可愛さで一時的に「ごまかせる」映画になっていた。

批評には一切関係ないが、ここでハン・ヒョジュちゃんの画像を以下に示す。

 

 

 

 

これで映画のカラクリがわかっただろう。

今回の映画批評で、

 

・CM出身やMV出身の監督

・主役の女優がとびきりの美人(ただしMachinaka好み)

 

の場合は、映画自体は駄作になってしまうというのが、法則として成り立ってしまった。この手の映画には、気を付けたほうが良い。

 

ただ、監督にはお礼を言わなければいけない。それは、ルゥルゥちゃんを起用してくれたこと

撮影監督が非常に優秀だったせいか、ルゥルゥちゃんはテレビドラマよりも遥かに可愛く写っている。

奇跡のようなルゥルゥちゃんの姿を記録してくれた、素晴らしいドキュメンタリー魂には謝意を表したい。

 

 

 

 

余談だが、この映画は演出がとてもダサい。スローモーションが多用されるのは、この際許そう。何故なら、おかげさまでルゥルゥちゃんが映る時間を延ばしてくれたから。一番許せないのは、「無音の余韻に浸る」シーン。説明が難しいが、例えば病室で彼女を看取る設定があるとして、彼氏が目覚めず、彼氏がうなだれるシーンを想定してほしい。普通の映画なら、彼氏がうなだれてから1秒から2秒静止して、次のシーンに繋ぐために徐々にフェードアウトしていくはず。

しかし、この映画では彼氏がうなだれてから5−6秒もの長い間、画面を固定するのだ。しかも無音で、何の意味もないシーンだ。これはおそらく、曲の終わりに必ずある、「余韻に浸るための無音」を作っているのではないか。と勘ぐってしまう。非常に違和感があるシーンで、気まずい思いをした。

 

 

 

はい!!! いかがでしたでしょうか!?

 

 

 

ルゥルゥちゃんの可愛い姿を見たい人は、是非とも劇場に足を運んでください!!!

 

 

ルゥルゥちゃん好きにはオススメです!!!

 

 

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